第二奇兵隊の群像:公開
※令和5年11月1日より公開します(記載内容は日々追加や変更あり)
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第二奇兵隊のなりたち
草莽崛起思想により創設された奇兵隊は、足軽・郷士のほか農民・町人など藩正規兵以外で組織された。が、禁門の変と第一次長州征伐に敗れた長州藩は恭順姿勢を取り諸隊解散を命ずる。高杉晋作と伊藤博文による功山寺決起、続く大田絵堂の戦いの勝利により、長州藩論は倒幕開国に傾く。
これをうけ防長各地に諸隊が結成。柳井や周防大島の志士が室積に集結し南奇兵隊を設立。その後、石城山に転陣し長州藩公認の第二奇兵隊となり、きたるべき第二次長州征伐に備える。
第二奇兵隊の説明 (資料)
①功山寺決起の後、大島・柳井の志士が室積集結
②石城山に転陣するも 立石孫一郎他百余名が脱走し倉敷浅尾騒動
③第二次長州征伐(四境戦争)大島口で 高杉晋作と共に戦い、幕府軍や松山藩兵から周防大島を奪還
④伏見の戦いで幕府軍や新撰組に勝利し大阪城入城
第二奇兵隊の功績 (資料)
◎四境戦争→鳥羽伏見→北越奥州→函館と連なる対幕戦争初の勝利
◎大島口の戦歴を活かし、伏見の夜戦で幕府軍&新撰組を押し返す 大阪城入城
〇関ヶ原で減封された毛利家、備中高松城水攻で敗れた清水家&難波家の積年の思いを果たす
〇明治維新後は在野で活動
第二奇兵隊の失策 (資料)
①立石孫一郎 他百余名が脱走「倉敷浅尾騒動」を起こす 脱走者は捕縛後死罪
②世界観ある志士 楢崎剛十郎を石城山頂で失う
③気性の激しい 世良修蔵・・・後に暗殺
④室積の商家に借金?(献納済)
(番外)難波覃庵の子孫が大正12年虎ノ門事件・・・遺徳の散逸
第二奇兵隊のその後 (資料)
大阪城から長州に戻り統合、解散
①世良修蔵 奥羽鎮撫総督府下参謀となるも暗殺
②白井小介 北越戦争参謀 維新後は平生で私塾
③芥川義天 隊解散時の詩歌を記録 円覚寺住職
④難波覃庵 画家・教育者 向山文庫建設
⑤大州鉄然 本願寺参政
⑥林半七 九戸県知事 西南戦争九州派遣 枢密顧問官
第二奇兵隊キャッチフレーズ・・R5/5/19笹井琢作成
・司馬遼太郎が書き切れなかった幕末維新の長州諸隊
・対幕戦争の勝利は第二奇兵隊の周防大島奪還から
・敵か味方か? 裏切り者か? 幕末クローズドサークル
・人にはそれぞれのストーリー みんな違って結構裏切る
・新撰組を三度押し戻した最弱おじさん中隊
・吉田松陰先生も坂本龍馬も登場しない幕末維新(高杉晋作はちょっと出ます)
第二奇兵隊勉強会 配付資料 R5/8/11笹井琢作成
・令和5年8月に光市の大和コミュニティセンターで開催した勉強会資料です
(印刷やダウンロードはかまいませんが、ネットに投稿しないでください)
R5第二奇兵隊勉強会.pdf (1.93MB)
・勉強会の状況はこちら https://twitter.com/Sasaitaku1/status/1689622516682342400