第二奇兵隊の年表:公開
※令和5年11月1日よりプレ公開します(記載内容は日々追加や変更あり)
閲覧・リンク・引用等は構いませんが、記載内容を転写し他に貼り付けることは禁止します
元号と西暦 | 第二奇兵隊(関係者)の動き | 長州藩の動き | 全国の動き |
~嘉永4年 ~1851年 |
1842 浦靱負 阿月克己堂を開く 1848 海防僧月性 清狂草堂を開く |
1825/2/18 幕府 外国船打払令出す 1842/7/23 異国船掃攘夷の停止令 |
|
嘉永5年 1852年 |
赤根武人 清狂草堂に入門 芥川義天 阿月克己堂に学ぶ |
9/30 桂小五郎 江戸留学 |
|
嘉永6年 1853年 |
|
浦靱負秋良惇之助 江戸湾防備 5/24 吉田松陰 江戸到着 |
6/3 黒船でペリー浦賀来航 7/18 ロシア船長崎来航 |
安政元年 1854年 |
海防僧月性 藩主に倒幕論を説く 阿月克己堂 庶民入校可能に |
3/27 吉田松陰 密航失敗 白井小介 松陰に差入れ |
1/16 ペリーが浦賀に再来航 3/3 日米和親条約を締結 9/18 ロシア船が大阪湾廻航 |
安政2年 1855年 |
室積の船大工が萩の造船所へ行く |
6/13 吉田松陰 獄中勉強会 11/5 松下村塾 設立 |
6/29 幕府 様式銃訓練始める 7/29 長崎に海軍伝習所設立 |
安政3年 1856年 |
8月 赤根武人 松下村塾入門 |
1月 洋式軍艦の建造着手 12月 軍艦丙辰丸が完成 |
8/24 ハリス下田駐留 |
安政4年 1857年 |
松下村塾で海防僧月性が講義 秋良敦之介 人力外輪船を試作 赤根武人が梅田雲浜に学ぶ 世良修蔵 江戸三計塾の塾頭に |
5月 大楽源太郎 上京 7/5 富永有隣 松下村塾講師 9月 高杉と伊藤 松下村塾へ |
5/26 日米和親修保条約締結 長崎開港 |
安政5年 1858年 |
5/11 海防僧月性 死去 10月 梅田雲浜奪還計画により 赤根武人 謹慎となる |
公家花山院 通商条約に反対 8/10 桂小五郎 江戸藩邸役 12/16 吉田松陰先生 再投獄 |
6/19 日米修好通商条約 10月 徳川家茂が将軍就任 安政の大獄 梅田雲浜獄中死 |
安政6年 1859年 |
10/27 吉田松陰先生 刑死 |
安政の大獄続く 6/2 横浜・長崎・函館を開港 |
|
万延元年 1860年 |
2/20 洋式兵制に改革 4/22 大村益次郎長州藩士に |
1/29 咸臨丸が米国出航 3/3 桜田門外の変 |
|
文久元年 1861年 |
大橋訥庵塾で清水と伊藤学ぶ 12月 英国船が室積入港し騒ぎに 地元農民により天造隊結成 |
1月 航海遠略策を藩論に 3/23 兵庫打出浜に陣屋設置 12/8 航海遠略策を幕府提出 |
2/3 ロシア船 対馬一時占領 12/22 幕府遣欧使節団 出航 |
文久2年 1862年 |
4月 赤根武人 謹慎とかれ江戸へ 4/19 浦靱負 藩兵率いて入京 8/2 毛利元徳 学習院に召見 11月 高杉の血盟書 赤根武人連名 |
浦靱負 兵庫の警備に付く 4/28 浪士鎮撫の内勅 5/20 長井雅楽 失脚 7/6 破約攘夷を藩論に 12/12 英国公使館焼討 |
1/12 大橋訥庵逮捕 後死亡 1/15 坂下門外の変 4/23 薩摩藩寺田屋騒動 7月 京都で天誅がはじまる 12/24 会津藩松平容保 入京 |
文久3年 1863年 |
1/5 白井・赤根 松陰の遺骨改葬 3/3 清水親知 学習院御用掛就任 3/9 毛利元徳 上洛 4/11 石清水八幡宮行幸 毛利元徳参加 浦靱負も随伴 4/21 毛利元徳 帰国 5/29 毛利元徳 下関砲台を巡視 6/24 赤根武人 小倉藩一部占領 9/26 楢崎剛十郎 脱藩し九州遊学 10/7 上関義勇隊結成 11/4 阿月克己堂12名 奇兵隊入隊 12/24 薩摩線長崎丸 下関で砲撃 |
1月 伊藤俊輔 グラバー訪問
3/30 兵庫打出浜の守衛免除
5/10 下関海峡米商船砲撃 5/12 長州ファイブ英国へ 6/1~5 下関攘夷戦争 6/7 下関で奇兵隊結成 8/18 八月十八日の政変 8/26 七卿が上関に寄る 10/4 赤根武人奇兵隊総督に |
2月 学習院 草莽建言始まる 2/23 江戸から浪士組が上洛 3/4 徳川家茂上洛 3/11 加茂神社行幸 3/12 壬生浪士組が結成 4/11 石清水八幡宮 攘夷祈願 4/20 幕府 攘夷上奉5/10~ 7/2 薩英戦争 8/17 天誅組が大和で蜂起 8/17 因州藩で20士事件 8月 新選組 命名 10/12 但馬で生野の変 |
元治元年 1864年 |
1/12 薩摩船加徳丸 室津で焼討 3月 楢崎剛十郎 密航罪で入獄 4/13 清水親知 因幡・備前で力説 5/18 周防大島で真部隊結成 7/14 毛利元徳 京都へ進発 7/21 多度津で敗戦を聞き帰国 9/30 清水親知 立野に戻る 11月 真武隊 解散させられる 12/25 清水親知 自刃させられる |
5/5 大楽 冷泉為恭を暗殺 6/15 長州兵 京都へ進発 6/27 君前会議伊藤俊輔参加 7/19 禁門の変 敗戦 7/21 山崎天王山で自死 8/5 四ケ国連合艦隊襲来 11/11 三家老切腹 11/15 諸隊解散を命じる 12/16 功山寺決起 |
5月 神戸に海軍操練所開設 6/5 新選組が池田屋襲撃 6/10 伊藤俊輔 帰国 7/19 京都でどんどん焼け 7/24 第一次長州征伐勅命 11/1 征長軍が広島到着 12/18 倉敷で下津井屋事件 12/19 山口城破却を検分 12/27 征長軍が撤兵 |
慶応元年 1865年 |
1/23 阿月克己堂で密談 1/24 周防大島久賀着 代官所交渉 1/27 24名で上関へ移動 1/28 室積集結 普賢寺で世良と合流 専光寺に陣を敷き真武隊と称す 2/2 普賢寺に陣を移す 南奇兵隊と改称 400名余に 3/3 石城山に転陣 3/13 長州藩公認 第二奇兵隊に 4月 国行雛次郎ら山口出張 6/1 松村五六郎ら山口出張 7/26 禁門の変一周忌祭 8月 大伴三郎ら山口出張 8/26 毛利元徳公 石城山へ激励 11/2 光明寺脱走事件 11/6 清水親春(美作)総督に就任 |
浦靱負 家督を滋之助に譲る 1/2 赤根武人 脱走し大阪へ 1/6~12 大田絵堂の戦い 2/14 長州藩の藩論転換 3月 諸隊の正規化を進める
4/22 高杉晋作危険感じ逃亡 5月室積に泊り漢詩読む 5/16 伊藤俊輔 束荷へ寄る
8/26 毛利元徳公 石城山へ 9/29 坂本龍馬 阿月に寄る 10月 白井小介 山口兵学校へ
|
1/8 大阪ぜんざい屋事件 3/17 赤根武人 大阪に着く 3/27 赤根武人 大阪で捕縛 5月 神戸に海軍操練所開設 5月 膳所藩で将軍暗殺計画 5/22 将軍徳川家茂 京都上洛 9/12 長州再征の勅許 10月 膳所城事件の烈士斬首 11/4 長州訊問使 京都を立つ 新選組と赤根武人が同行 11/20 近藤勇 長州入国拒否 12/10 赤根武人阿月で密談 秋良敦之介・世良修蔵と 12/22 近藤勇 京に戻り 長州への寛典を説く 12/27 赤根武人 柱島で捕縛 |
慶応2年 1866年 |
1/2 林半七が来訪 後に軍監就任 2月 世良修蔵が謹慎処分
4/5 石城山から百余名が脱走 4/10 倉敷代官所を襲撃 4/13 浅尾藩陣屋を襲撃 4/26 脱走首謀者を千歳橋で暗殺 5/5 田布施専福寺に転陣
6/7 上関・安下庄・油宇 砲撃受ける 6/10 幕府軍と松山藩兵が上陸 6/12 高杉晋作と軍議 夜戦仕掛る 6/15 周防大島に渡海 6/20 周防大島を奪還 |
1/21 薩長同盟が締結 1/25 赤根武人が斬首 4/22 八幡隊一部が脱走 6/7 四境戦争 大島口開戦 6/10 第二奇兵隊・浩武隊 高杉晋作に出動命令 丙寅 丸に山田顕義・田中光顕 6/13 芸州口開戦 6/14 芸州煙 柳井から視認 6/16 石州口開戦 6/17 小倉口開戦 7/18 浜田城攻略 8/1 小倉城炎上 9/2 幕長休戦協定
11/15 松山藩使者 大島へ |
2/3 近藤勇 再度広島入 2/12 幕府軍が四境に迫る 3/12 近藤勇 帰京する 4/14 蒔田広孝浅尾藩へ戻る 4/24 井汲唯一 津山獄内死去 6/4 徳川茂承が広島入り 6/4 広島藩 派兵辞退 6/7 第二次長州征伐開戦 6/15 新選組 芸州口戦況記録 6/21 薩摩藩 出兵拒否 7/20 将軍徳川家茂死去 7/24 徳川茂承 宮島より撤兵 9/3 新選組山崎.吉村広島滞在 秋~冬 西宮砲台が完成 12/5 徳川慶喜が将軍就任 12/25 孝明天皇が崩御 |
慶応3年 1867年 |
6/7 櫛部坂太郎ら 伊予西条で捕縛 8月 鳥尾小弥太・松村源一が入隊 9月 上京のため室津常満寺に駐屯 軍服を西洋服に 編入兵を募集 11/22 櫛部坂太郎・桜井軍記 斬首 11/25 三田尻・上関港を出発 11/29 兵庫打出浜上陸し西宮駐屯 12/8 西宮から進発 山崎関門突破 12/10 全軍入京 主に東福寺駐屯 12/29 伏見街道守備を命じられる |
1/18 林半七 松山へ上陸 1/22 四境戦争終結 1月 世良修蔵 藩海軍局入学 2/7 松山藩と三田尻で交渉 5/22 諸隊軍監が山口集結 10/8 薩長芸三国同盟 10/13 倒幕の密勅下る 11/3 徳山藩毛利元功 上京 11/28 伊藤俊輔 西宮へ 12/19 毛利元功 粟生光明寺 |
1/9 明治天皇が即位 1/23 長州征討軍が解散
6/6 浅尾藩主蒔田広孝 京都見回役を退任 10/14 大政奉還 12/9 王政復古の大号令 12/12 田中光顕 高野山挙兵 12/13 徳川慶喜大阪城へ
|
慶応4年 明治元年 1868年 |
1/3 伏見で交戦はじまる 1/4 伏見高瀬川の戦い 1/5 淀千両松の戦い 淀城入城 1/6 橋本の戦い 津藩が砲撃 1/9 振武隊兒玉如忠大阪城の煙見る 1/10 大阪城入城 盗賊を成敗 大阪城下を警備する 1/20 長州へ帰還する
4月 編入兵を差除する達しあり 山口へ嘆願 帰陣し詩を詠む |
1/3 鳥羽で交戦はじまる 1/4 鳥羽の交戦が続く 1/5 鳥羽街道で錦旗揚がる 1/6 毛内元功 津藩砲撃検分 1/8 赤報隊結成 1/9 徳山藩大阪城に接触 1/15 花山院隊 御許山決起 1/20 花山院 室積で拘禁 1/22 毛利元徳が上京 2/15 東征軍が京から進発 4/21 世良修蔵 福島で暗殺 5/2 小千谷会談決裂 |
1/5 淀城への入城拒否 1/6 徳川慶喜 大阪城脱出 1/8 新選組 大阪城脱出 1/9 大阪城炎上 1/12 徳川慶喜 江戸城到着 1/15 諸外国が局外中立 2/28 甲陽鎮撫隊結成 3/6 甲陽鎮撫隊 勝沼で敗戦 4/11 江戸城無血開城 5/15 上野戦争 彰義隊敗戦 9/8 元号を明治に改元 9/22 会津鶴ヶ城開城 |
明治2年 1869年 |
1月 第二奇兵隊と膺懲隊が合併し 健武隊となる 隊長は赤川敬三
11/27 諸隊解散される 12月 富永有隣ら反乱する |
4月 白井小介 奇兵隊軍監 6/17 毛利元徳 山口知藩事 8月 大洲鉄然 九州巡廻 11/25 常備軍再編成 11月末 諸隊の反乱相次ぐ |
1/20 薩長土肥の藩主が 版籍奉還を建白 4月 山県有朋がロシア行 5/18 函館五稜郭の戦い終結 9月 大村益次郎 襲撃・死去 |
明治3年 1870年 |
1月 富永有隣 逃亡 1月 鳥尾小弥太・松村五六郎 脱隊 3/2 伊藤三郎 反乱罪で処刑 |
1/21 反乱者山口政治堂包囲 2月 木戸孝允 反乱を鎮圧 3月 反乱者の処刑 |
大楽源太郎 山口から脱出し九州へ |
明治4年 1871年 |
|
3/16 大楽源太郎と弟の 山県源吾 久留米で惨殺 7月 毛利元徳 上京し公爵に |
3月 久留米で二卿事件 7月 廃藩置県 〇月 鳥尾小弥太 兵部省出仕 |
明治5年~ 1872年~ |
M6 室積に小学校開校 M10 富永有隣 7年間逃亡の後逮捕 M16 難波覃庵 二階建向山文庫設置 M18 難波覃庵 富永有隣を訪問 M19 富永有隣 田布施で帰来塾 M22 岡榮三 初代阿月村長に M23 堀江芳介 国会議員に当選 M28 堀江芳介 第二代阿月村長に M35 坂田直亮 第三代阿月村長に M35 白井小介 死去 |
M11 大洲鉄然 山口県史編纂 M16 小方謙九郎 上関四階楼 M22 戊辰戦記絵巻物 完成 M24 誠忠不朽之碑を建立 M26 倉敷浅尾犠牲者之碑 M33 伏見三十三回忌 M40 林半七(友幸)死去 T2 芥川義天が人名録作成 T4 芥川義天 死去 T6 児玉如忠 実歴談を発行 |
M10 林友幸 鹿児島訪問 M10 西南戦争 M10 木戸孝允 死去 M18 伊藤博文 初代総理大臣 M23 毛利元徳 貴族院議員 M38 鳥尾小弥太 死去 M42 伊藤博文 ハルピン暗殺 T11 山県有朋 死去 T15 三浦悟郎 死去 S14 田中光顕 死去 |