海商館からのお知らせ

2026-03-14 22:44:00

第二奇兵隊ドライブツアー 令和8年2月1日(日) 参加者8名

向山文庫→石城山登山口→秋良家歴史史料庫→阿月克己堂→赤根武人屋敷跡→上関四階楼

画像 ケーブルカー、テキストの画像のようです 記念碑、テキストの画像のようです

 

画像 フルート、クラリネットの画像のようです 本、テキストのイラストのようです

今回目玉は秋良家歴史史料庫の特別公開

(第二奇兵隊士が多く学んだ阿月克己堂の学務秋良敦之助、子孫の秋良克温さん御案内)

 

画像 記念碑、テキストの画像のようです 地図、青写真・設計図、間取り図、テキストの画像のようです

第二奇兵隊書記の小方謙九郎が明治12年に建てた四階楼は上関町歴史民俗資料館と

なっており、館長さんと上関の維新史について情報交換しました

2026-03-10 22:10:00

第二奇兵隊サミット 令和7年8月14日(木) 光市民ホール 参加者75名

画像 写真の説明はありません。 写真の説明はありません。 

 【動画配信】

 ・紙芝居「立石孫一郎」 https://www.youtube.com/watch?v=QLm5NfuHkoU

 ・一人芝居風 第二奇兵隊通史  https://www.youtube.com/watch?v=4MmTGFHmYs0

 

R7第二奇兵隊サミット当日パンフレット_3.jpg R7第二奇兵隊サミット当日パンフデスク_2.jpg   写真の説明はありません。  R7第二奇兵隊サミット当日パンフレット_4.jpg

 

【子孫5名によるディスカッション】  司会:光田伸幸(周防大島観光ボランティアガイドの会) 

※以下は子孫5名の発言を要約

 

1.山口千鶴さん(第二奇兵隊参謀:難波覃庵の子孫)

 戦国武将清水宗治の弟難波伝兵衛の子孫。横浜市在住だが「向山文庫」の保存活動で毎年光市へ滞在している。毛利家重臣清水家の筆頭家老を代々難波家が務めた。難波覃庵(なんばたんあん)自身も強い忠義心を持っていた。「偏屈じじい」と見られることもあったが、それは全て主家である清水家を立てるため。

 清水家主君の清水親知(しみずちかとも 清太郎とも)は幕府と戦う心意気をもって、難波覃庵に命じ人を屋敷内に集め訓練した。屋敷内の文庫が「向山文庫」の始まり。第一次長州征伐の責任を負って清水親知は自刃したが、その遺志を継ぎ先代当主の清水親春(しみずちかはる 美作とも)が第二奇兵隊軍監に就任、難波覃庵は第二奇兵隊の参謀となった。

 明治16年に難波覃庵が私財を投じて建設した二階建ての「向山文庫」 この「向山」は清水親知の戒名の一部から来ている。現代でも近隣小学校に向山図書室があることを知った。今も現存し第二奇兵隊の象徴である「向山文庫」や、清水家が祀られている「正義霊社」を残していきたい。ぜひ立ち寄ってみてください。

 

2.大橋弘枝さん(第二奇兵隊応接方:立石孫一郎の子孫)

 第二奇兵隊の応接方と銃隊副隊長を努めた立石孫一郎(たていしまごいちろう) 本名は倉敷西大橋屋の大橋敬之助(おおはしけいのすけ)が高祖父にあたる。司馬遼太郎や早乙女貢の小説で描かれる孫一郎の姿は、雑な扱いという感じを持っている。自分も勉強中であるが、今回の第二奇兵隊サミットで知り得たことも多い。孫一郎は第二奇兵隊内の身分差別や不満に付き合い、室積の大黒屋で憂さ晴らしを受け止めながら、百余人の仲間を連れて出たのではないか。若い人たちの熱い想いを受け止め歴史を変えていこうという熱意を感じていたと思っている。

 昭和10年頃、島田川千歳橋の袂に地元青年団が石碑を立ててくださった。150年後の現在でも周辺二軒屋自治会の方が当番で守って頂いている事に、本当に今感動している。

 

3.石津宏さん(第二奇兵隊軍医:石津文齋の子孫)

 地元の勘場医から第二奇兵隊軍医に招聘された石津文齋(いしづぶんさい)が曾祖父。この時わずか21歳であり乗馬が得意だった。第二奇兵隊は「青年たちの軍団」であった。身分を問わず、武、士、商人、農民、僧侶といった多様な階層の若者たちが、日本の未来を憂う純粋な情熱で結集した。

 この革命的な活動は、室積の豪商たちによる絶大な財政支援しには成り立たない。廻船問屋を営んでいた今津屋や松岡家(後の外務大臣・松岡洋右の生家)などが、多額の資金や物資を提供したおかげで、第二奇兵隊は最新式のミニエー銃などを揃え、強力な戦闘力を保持することができた。

 

4.倉光孝之さん(第二奇兵隊士:相木又兵衛の子孫)

 第二奇兵隊の相木鷹之助とその弟で養子となった相木又兵衛(おおぎまたべえ)の子孫。祖母が又兵衛の三女にあたる。相木又兵衛の写真は傍系である倉光家に伝わっており、関東の相木本家からもしっかり代弁して欲しいと言われた。相木鷹之助は千歳橋の戦いで指を切られたと司馬遼太郎の小説や光市の歴史書物に記されているが、鷹之助と暮らした祖母から指はあったと聞いている。

 自分の出身地である光市立野の宮河内地区は、清水家の領地であり多くの家臣団が暮らす豊かな歴史を持つ地域であった。しかし地域の中心であった立野小学校が昭和40年に閉校し、さらに近年の学校統廃合の中で周防小学校も統合が予定されており、地域が急速に風化していくことへの強い危機感を感じる。向山文庫は単なる史跡ではなく、地域の記憶として大切にし、次の世代に手渡していく活動が大切である。

 

5.秋良克温さん(阿月克己堂学務:秋良敦之助の子孫)

 長州藩重臣浦家の家老秋良敦之助(あきらあつのすけ)の子孫。敦之助は海防僧月性の清狂草堂に学ぶ。浦賀に来航した黒船を目の当たりにし、これからの時代は海軍力が国の命運を左右すると痛感していた。浦家が開いた学塾阿月克己堂の学務を務めて若者を育て、そこから多くの若者が第二奇兵隊に入隊し戦った。戦後80年という現代日本の視点から幕末の歴史を振り返り、第二奇兵隊のような存在が、外国の脅威から国を守るための「防衛」という意識を持っていたことに注目すべき。

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【まとめ 向山紅葉隊代表:小林孝二】

 光市と周防大島町が連携を強化し、史料の収集・整理を進め、資料集の作成、さらには漫画化や映像化といった、より多くの人々に歴史を届けるための多様な取り組みを進めていきたい。叶うことなら大河ドラマ化を目指したい。

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紙のパンフレットが若干余っています 御入用の方はこちらから(送料込1000円)

https://kaishokan.shop-pro.jp/?pid=190894481

 

 

2026-02-20 11:45:00

第二奇兵隊勉強会 ポスター・当日配付資料・結果報告

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6月19日(木) 光市立野 長徳寺(第二奇兵隊隊士の多くが学んだ慕義塾)

参加者10名 長徳寺住職の歴史解説 四境戦争を戦った膳所藩士村田精一墓

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6月23日(月) 周防大島町 帯石観音(大島口の戦い激戦地普門寺跡)

参加者3名 普門寺住職の歴史解説 明治100年記念公園の見学

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6月29日(日) 光市室積 海商館(南奇兵隊が結成された室積海商通り)

参加者12名 第二奇兵隊(南奇兵隊)本陣が置かれた専光寺と普賢寺の見学

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2026-01-16 22:49:00

衝撃 新撰組 VS 第二奇兵隊

全8話 フェイスブックで読めます R8.1.14掲載

【第1話 伏見御堂の邂逅】

【第2話 伏見奉行所の戦い】

【第3話 高瀬川の濃霧】

【第4話 千両松の激突】

【第5話 淀城開門せず】

【第6話 山崎関門橋本関門】

【第7話 石清水八幡宮の御加護】

【第8話 目指すは大阪城】

【衝撃 新撰組 vs 第二奇兵隊 余話】

3年間に渡る調査研究を元に書き上げました

歴史史料に基づく史実を組上げており創作ありません

全8話 添付資料は40枚 パソコンか横長タブレットでご覧ください

2024-06-02 20:03:00
海商館 閉店

平成14年12月17日にオープンした石焼き焼きそば海商館は、23年の営業を終え令和6年6月2日に閉店しました

・建物の点検調査に半年かかります 秋以降に活用策をお知らせします

ご連絡の方は℡0833-79-3331(留守録)メールkaisho@jasmine.ocn.ne.jpまで

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