海商館からのお知らせ
向山紅葉隊(こうざんもみじたい)は山口県きらめき財団から令和7年度助成金を受けております
年度末が近づいてきましたので、1年間の活動を取りまとめてアップします
第二奇兵隊サミット 令和7年8月14日(木) 光市民ホール 参加者75名

【動画配信】
・紙芝居「立石孫一郎」 https://www.youtube.com/watch?v=QLm5NfuHkoU
・一人芝居風 第二奇兵隊通史 https://www.youtube.com/watch?v=4MmTGFHmYs0
【子孫5名によるディスカッション】 司会:光田伸幸
1.山口千鶴さん(第二奇兵隊参謀:難波覃庵の子孫)
戦国武将清水宗治の弟難波伝兵衛の子孫。毛利家重臣清水家の筆頭家老を代々難波家が務め、難波覃庵(なんばたんあん)自身も強い忠義心を持っていた。「偏屈じじい」と見られることもあったが、それは全て主家である清水家を立てるため。自分は横浜市在住だが「向山文庫」の保存活動で毎年光市へ滞在している。
第一次長州征伐の責任を負って自刃した主君清水親知(しみずちかとも 清太郎とも)の遺志を継ぎ、先代当主の清水親春(しみずちかはる 美作とも)が第二奇兵隊軍監に就任、難波覃庵は参謀となった。明治16年に難波覃庵が私財を投じて建設した「向山文庫」 この「向山」は清水親知の戒名の一部から来ている。現代でも近隣小学校に向山図書室があることを知った。今も現存し第二奇兵隊の象徴である「向山文庫」や、清水家が祀られている「正義霊社」を残していきたい。ぜひ立ち寄ってみてください。
2.大橋弘枝さん(第二奇兵隊応接方:立石孫一郎の子孫)
第二奇兵隊の応接方と銃隊副隊長を努めた立石孫一郎(たていしまごいちろう) 本名は倉敷西大橋屋の大橋敬之助(おおはしけいのすけ)が高祖父にあたる。司馬遼太郎や早乙女貢の小説で描かれる孫一郎の姿は、雑な扱いという感じを持っている。自分も勉強中であるが、今回の第二奇兵隊サミットで知り得たことも多い。孫一郎は第二奇兵隊内の身分差別や不満に付き合い、室積の大黒屋で憂さ晴らしを受け止めながら、百余人の仲間を連れて出たのではないか。若い人たちの熱い想いを受け止め歴史を変えていこうという熱意を感じていたと思っている。
昭和10年頃、島田川千歳橋の袂に地元青年団が石碑を立てて頂いた。150年後の現在でも周辺二軒屋自治会の方が当番で守って頂いている事に、本当に今感動している。
3.石津宏さん(第二奇兵隊軍医:石津文齋の子孫)
地元の勘場医から第二奇兵隊の軍医に招聘された石津文齋(いしづぶんさい)が曾祖父。軍医に招聘されたのがわずか21歳の時であり乗馬が得意だった。第二奇兵隊は「青年たちの軍団」であった。身分を問わず、武、士、商人、農民、僧侶といった多様な階層の若者たちが、日本の未来を憂う純粋な情熱で結集した。
この革命的な活動は、室積の豪商たちによる絶大な財政支援しには成り立たない。廻船問屋を営んでいた今津屋や松岡家(後の外務大臣・松岡洋右の生家)などが、多額の資金や物資を提供したおかげで、第二奇兵隊は最新式のミニエー銃などを揃え、強力な戦闘力を保持することができた。
4.倉光孝之さん(第二奇兵隊士:相木又兵衛の子孫)
第二奇兵隊の相木鷹之助とその弟で養子となった相木又兵衛(おおぎまたべえ)の子孫。祖母が又兵衛の三女にあたる。相木又兵衛の写真は傍系である倉光家に伝わっており、関東の相木本家からもしっかり代弁して欲しいと言われた。相木鷹之助は千歳橋の戦いで指を切られたと歴史書物に記されているが指は5本合った、と祖母から聞いている。
自分の出身地である光市立野の宮河内地区は、清水家の領地であり多くの家臣団が暮らす豊かな歴史を持つ地域であった。しかし地域の中心であった立野小学校が昭和40年に閉校し、さらに近年の学校統廃合の中で周防小学校も統合が予定されており、地域が急速に風化していくことへの強い危機感を感じる。向山文庫は単なる史跡ではなく、地域の記憶として大切にし、次の世代に手渡していく活動が大切である。
5.秋良克温さん(阿月克己堂学務:秋良敦之助の子孫)
長州藩重臣浦家の家老秋良敦之助(あきらあつのすけ)の子孫。敦之助は海防僧月性の清狂草堂に学ぶ。浦賀に来航した黒船を目の当たりにし、これからの時代は海軍力が国の命運を左右すると痛感していた。浦家が開いた学塾阿月克己堂の学務を務めて若者を育て、そこから多くの若者が第二奇兵隊に入隊し戦った。戦後80年という現代日本の視点から幕末の歴史を振り返り、第二奇兵隊のような存在が、外国の脅威から国を守るための「防衛」という意識を持っていたことに注目すべき。
【まとめ 向山紅葉隊代表:小林孝二】
光市と周防大島町が連携を強化し、史料の収集・整理を進め、資料集の作成、さらには漫画化や映像化といった、より多くの人々に歴史を届けるための多様な取り組みを進めていきたい。叶うことなら大河ドラマ化を目指したい。



